佐村城

概説 別名、館山城。永禄12(1569)年3月7日の長尾憲景書状写には正月21日に「小田佐村江移陣」と記されており、佐村が小田氏包囲陣の要地となっていたことがわかる(平凡社『茨城県の地名』)。その場所は現在の館山(タテヤマ)であろうか。館山は北、東は桜川流域に面した低地で西方に入り込んだ谷があり、南方は集落台地に接し、南、西面には幅十数メートルの馬蹄型堀跡が残っている。その内側上部の平坦地を囲む土塁の跡が確認できる。「タテヤマ」の地名を有するこの一画は桜川流域低地に突き出た台地の先端にあり、小田、北条を眼下に望むことのできる地であり、戦国の世においても重要な場所であったことが窺える。[『大穂町史』より]
南側からの遠望
    その他の写真
  1. 虎口の土塁
  2. 堀跡
訪問記[2003/01/20]芝畑と土塁の間に(ほとんど埋められて浅くなっているが)帯状の堀跡がある。土塁は楕円形の曲輪の南側にのみあるようだ。
所在地つくば市佐字館山。国道408号線北部工業団地入口の信号を東へ入り、県道19号線取手つくば線へぶつかる手前北側の台地上の畑の中。
参考書『大穂町史』