龍ヶ崎城

概説 戦国時代に県南を代表する領主として名をはせた土岐氏が、本拠地の江戸崎から離れた交通の要衝・町場であり要害の地でもあった龍ヶ崎地方の統治策として、領主治英が現在の龍ヶ崎二高が立つ一帯の龍が峰城を永禄10(1567)年に改築して、次男胤倫を配置し、領地の南西部を統治する土岐領の第二の拠点とした。その後、豊臣軍の東国進撃にともない、天正18(1590)年落城し、芦名盛重が入城して江戸崎城へ移るまでここを居城とし、佐竹(芦名)氏の秋田移封と供に江戸時代初期には廃城となった。[「龍ヶ崎の文化財」パンフレットより]
 近世仙台伊達藩の龍ヶ崎陣屋は北西側台地下の現龍ヶ崎小学校正門付近にあったという。→龍ヶ崎陣屋
御獄神社から龍ヶ崎第二高等学校を望む
    その他の写真
  1. 東端にある御獄神社
訪問記[2001/10/02]東側Iの郭と西側IIIの郭を残し、中間のIIの郭部分はごっそり崩され住宅地となっている。
所在地龍ヶ崎市古城および城下。西側は龍ヶ崎第二高等学校、東側は御獄神社になっている。
参考書『龍ヶ崎市の中世城郭跡』、『龍ヶ崎市史中世編』