概説 | 言い伝えによると、平将門は文巻川の合戦で討死にする直前に、身ごもっていた妾の苅萱(さくら)姫を逃がし、姫は実父大須賀内記国友のもとへ逃れそこで男児を生み、その子は後に青野主殿守守胤を名ったという。その大須賀内記国友の在所が大須賀館であったようだ。美浦村大須賀津のその場所には現在来迎院(元亀2(1571)年建立の天台宗の寺)がある。[『美浦村誌』より] |
館跡に建つ天台宗来迎院 |
その他の写真 |
訪問記 | [2001/02/11]館跡を物語るような遺構は残っていない。本堂軒下の靴脱ぎのようなものはおそらく古墳の石棺の蓋。このあたりではそこら中で再利用されている。 [2003/04/28]久しぶりに裏を通ったところ、本堂の北東側に土塁様の塚が見えた。 |
所在地 | 稲敷郡美浦村大須賀津。来迎院。 |
参考書 | 『美浦村誌』P73 |