長高野城(おさこうやじょう)

概説 御城と通称されている下長高野東端の地は中世の館跡で土塁が現存している。戦前は二重堀が見られたが、戦時中の食糧増産により平らにし畑としたが現状は荒地である。北畠親房一族の城であると伝えられているが、泉の永田布祝氏書写の「小田屋形家風記」にある長高野館主赤松三河介早奄入道の館跡に比定されている。[『大穂町史』より]
北側からの遠望(城壁に見えるのは捨てられたゴミ)
その他の写真
  1. 水堀跡(日枝神社東側)
訪問記[2003/04/28]つくば市の話では、西側の日枝神社裏から北側へかけて水堀が残るのが唯一の遺構で、主郭部はゴミ捨て場になってしまったため、現在では土塁を確認することはできないとのこと。周辺から見上げたときに巨大な土塁か城壁のように見えたのがそのゴミ山だったわけだ。東側にも水路がありこれも水堀跡ではないだろうか。
所在地つくば市長高野字下長高野。長高野バス停の北側が主郭部。
参考書『大穂町史』、『茨城県遺跡地図平成13年度版』