折戸浜砲台

概説 明治元年10月26日、旧幕府榎本軍の箱館制圧によって箱館府と新政府軍は一旦青森へ退いた。翌明治2年4月6日、新政府軍の先発隊1500名が青森港を出航し、9日乙部(現乙部町)に上陸、12日に400名、16日には2500名が上陸、ここから反撃を開始する。4月17日午前9時30分には新政府軍の艦隊が松前沖に結集、正午まで折戸台場や松前城に向けての艦砲射撃が浴びせられた。陸兵が松前に接近してきた午後4時より砲撃を再開、4時30分には陸戦が展開される。台場を守る松岡四郎次郎は兵を散開させて戦ったが、持ちこたえられず退却を命じ、松前城も包囲され、城内の兵も吉岡方面へと敗走した。
砲台跡の標柱
訪問記[2002/7/29]松前から江差へ向かって折戸浜の手前、消防署を過ぎてすぐの左手小さなパーキングに標柱が立っていた。
所在地松前町建石。折戸浜東側の台地上。
参考書『箱館戦争写真集』