面野井城

概説 面野井城主平井手伊賀は、佐竹との争いに敗れ、後、下妻の多賀谷氏に属したが、多賀谷氏の歿後は郷士となって土着した。面野井城は最も簡単な掻上げ砦に過ぎなかったようであるが、城は、面の井台坪(かつては奥面野井と称した)の水田の中に突出る舌状台地の先端にあった。今の水田の部分は、昔は泥深い湿地帯であり、相当な要害の地形をなしていたと思われる。先端の部分は今も古山と呼ばれ、面積約3ヘクタールで掻上げ土塁の部分が残っていた。昭和48年8月、近くの水田の埋立土にするために削り取られてしまって、昔時の状態をしのぶことができなくなった。東側はそれ以前に削り取られて畑地になってしまったが、台面の井の人家に近い所は急傾斜になっており、当時の人びとはその台下に住んでいたらしく、そこに氏神は祀られている。[『谷田部の歴史』より]
県道123号線南側、古山
    その他の写真
  1. 台面野井(県道北側)集落の竹藪に残る土塁
訪問記[2002/12/16]城域は県道123号線で南北に分断されているようだ。県道南側の古山近くではつくば新線の橋脚工事が行われている。古山は墓地になっていてその奥の藪中にも遺構は見当たらなかった。『谷田部の歴史』にあるように削り取られてしまったからだろう。県道北側の集落内の竹藪の中に土塁の一部が残っていた。
所在地つくば市面野井台面野井
参考書『谷田部の歴史』