概説 | この城跡は利根川を南に臨む台地上に築かれた城である。城跡のる台地は「城の台」とよばれており、城跡北側に土塁と堀の一部が25メートルにわたり残っている。城跡の規模は明らかでないが、遺構の一部が残る台地の尖端に小規模な城跡が築かれる程度のものであったと思われる。[『取手市史』より] 戦国時代、一色政義の居城。[『日本城郭体系4茨城・栃木・群馬』より] |
遺構中最大の土塁。周囲には堀跡も認められる![]() |
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訪問記 | [2002/10/07]今も遺構があるのか、よく分からなかった。 [2006/12/25]4年前に来たときには1本東側の道を探してしまったために土塁を見つけられなかったようだ。東谷寺駐車場から民家の脇を通って南南西へ約90m行くと正面に土塁と堀跡が残っていた。さらにその南西側の畑の南縁に土塁が残りその外側には一部腰郭も見られた。始めの土塁についてはいくつかのページで紹介されていたが、畑の南縁の土塁と腰郭のことは知らなかった。4年前の時点では遺構は何も残っていないものと思っていたので意外な発見に満足。 |
所在地 | 取手市小文間。東谷寺駐車場から南南西へ約90m行くと正面にわずかに土塁と堀跡が残る。その南西側の畑の先端部に土塁が残り一部腰郭も見られる。 |
参考書 | 『取手市史』、『日本城郭体系4茨城・栃木・群馬』 |