沖宿堀之内

概説 誰の館かは不明である。小田治朝かと思われる。後閑堀内という地名が地頭進止の地を意味する例もあるから、少なくとも小田氏の直轄地だった所であろう。海蔵寺は治朝の開基であり、彼の墓所でもある。[『土浦市史』より]
南東側から
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訪問記[2003/04/01]周囲には蓮田が拡がり、蓮田の中に集落が形成されていったという印象。ただ、字堀之内の一画は周辺の宅地よりもやや地面が高いように感じる。すぐ南側の区画は字戸張というらしい。
所在地土浦市沖宿町沖宿字堀之内。県道118石岡田伏土浦線の高野入口から南へ250mほど入った西側の蓮田に囲まれた区画。
参考書『土浦市史』、『土浦市史別館土浦歴史地図』、『茨城県遺跡地図平成13年度版』