小張城

概説 『東国戦記実録』によると、小張城は、天正年中(1573〜1592)に小田氏の臣従四位上権少将只越尾張守善久が、その居城として構えたものであり、以後平手伊賀守、安岡豊前守と城主が相次いでかわり、4代目の城主として松下石見守重綱が居住したことになっている。只越善久は、多賀谷氏との戦に敗れ戦死したことになっているが、戦死したのは影武者で本人は岩手県へ逃れ、その子孫が出家して小張へ戻り現在の小張西念寺住職となったといわれる。[『重要遺跡調査報告書II(城館跡)』より]
三の丸跡に建つ小張小学校
訪問記[2002/10/15]小張小学校西側の台地下の道を行くと小学校の北辺に台地がくびれて道が着いているところがあった。ここが三の丸と二の丸の間の舟着場跡といわれるところかもしれない。
所在地筑波郡伊奈町小張。小張小学校は三の丸の跡といわれる。
参考書『重要遺跡調査報告書II(城館跡)』