小原城

概説 小原城は、小田家代々の下知の城館として41館の一つであり、宍戸城の東北部にあってこれを押さえて重要地点にあった。往時里見公小原村に来たり、城を築いて永住の地と定めたといわれる。延元2(1337)年5月5日奥州より里見七郎義俊が白旗をたてたのである。義俊小原城主となり此処に土着したのである。また、里見公は天正19(1591)年の秋に没した。その頃佐竹大膳大夫の軍に攻められて落城したのである。[『重要遺跡調査報告書II(城館跡)』より]
本丸跡には御城稲荷神社が建っている
    その他の写真
  1. 稲荷神社東側の水堀跡(平成3年に埋められた)
  2. 水堀跡に建つ御城稲荷。この周辺だけにわずかに水気がある
  3. 北東側櫓台跡の土塁
訪問記[2001/02/19]現在本丸跡は稲荷神社と公民館地、周辺の郭跡は水田や畑となっている。本丸周囲の水堀もつい平成3年まで一応残っていたとのこと。現在は埋められて一部がゲートボール場となっている。
所在地西茨城郡友部町小原。御城稲荷神社のところ
参考書『重要遺跡調査報告書II(城館跡)』