沼田城

概説 このページを作ったときには「沼田土塁」としたが、主要街道を閉塞していないことや山林中にあることなどから、いわゆる江戸崎土岐氏が構築したと言われる戦国土塁とは異なるため、「沼田城」へ変更した。この堀・土塁は沼田の集落を守るための施設だったと考える方が妥当だろう。さらに、なんらかの理由で中途放棄された未完成の城館かもしれない。
 沼田の常晃寺には土岐氏何代目かの墓碑だか位牌だかがあるらしいこと(尋ねて行ったところ住職には否定された)や、「天正年代に江戸崎城が落城した際、土岐の殿様が落ちてきてここで自害した」という伝承が残っていることなどから、この地が土岐氏と何らかの関係があることは確かなようだ。
鹿島神社の西側の坂道に現れた堀の断面
    その他の写真
  1. 土塁上から堀底を見る
  2. 概略図
  3. 常晃寺本堂裏の土塁と堀
訪問記[2000/10/17]薮の中、10メートルほどの間隔で平行する二つの堀跡。江戸崎中央公民館の平田氏によると、二つの堀はやがて合流し、右へそれから左へクランク状になっていて横矢的仕掛けがなされていたようだとのこと。今回はそこまでは確認していない。平田氏の説明によると、他の街道閉塞用土塁とは違うようで、沼田の集落を防御するための仕掛けだったかもしれないとのこと。
[2001/10/15]1年ぶりに訪れた。前回よりも奥へ入ってみた。昨年の平田氏の説明をほぼ確認。二重の堀は竪堀となって西側斜面へ落ちていると見える。
[2003/02/04]今日は、常晃寺本堂裏にあるという土塁を確認しに来た。
所在地稲敷郡江戸崎町沼田字寺台1361-2外。常晃寺と鹿島神社の間の山の中。地元の方々に場所をおしえてもらってようやくたどりつく。道際に堀の断面を見つけられればともかく、自力で探すのはけっこう難しいと思う。
参考書『茨城県遺跡地図平成13年度版』