概説 | 根本台砦は、北側に根本の集落があり、その北は水田湿地帯から霞ヶ浦に続いている台地上に立地している。北の守りを意図した砦である。顕在する遺構は総体的によく残存している。大櫓台跡は、近世城郭の天守台に相当する。擂鉢郭は、大根城への通信連絡(狼火)のための施設であり、郭への出入の時は、擂鉢郭の部分を屈折して通過する枡形の役目をしている。砦下の家臣団屋敷のまわりには、土塁・濠跡が確認され、巾8m水濠が残存している。[『美浦村誌』より] |
北西側からの遠景 |
訪問記 | [2001/03/06]丘の上も篠と松の薮になっていて遺構らしきものは見当たらなかった。方向がわからなくなりそうで遭難するかと思った。 [2001/04/16]最近地元のご老体連が馬洗池付近を草刈りされたという情報を得て薮漕ぎ敢行。なんとか馬洗池、虎口、姿隠しの土塁、従郭部までを見て来られた。それにしてもものすごい藪。 [2001/05/01]今日は、薮漕ぎ名人のお二人(潮風さん、五郎さん)とともに馬洗池の脇から入る。虎口を通り従郭部の南側の微低地まで行きそこから50mほど西へ行った所から再び北側の斜面を登り従郭部へ上がる。その薮を西へ進み従郭部の北西の角を確認。その少し南側から繋郭へ降りる。この付近に東西南北へT字に切ったトレンチの跡が残っていた。さらに西へしばらく登ると大櫓台がある松林に辿り着くが、松林が鬱蒼としていて何も分からない。ここは2001/03/06に来た所だと思い出す。この付近は弥生時代の根本台遺跡発掘現場跡と思われる穴ぼこが至る所に掘られている。そこから南へ進むと高い松の木が数本立っている地点へ辿り着く。ここが擂鉢郭だと思われるが松林が深く何も分からない。ここから右手へ周り込むように下る道を辿って降りる。降りてから、今日は写真を一枚も写して無い事に気付くが、後の祭り。 [2001/05/06]先週見落としていた南東虎口などを確認して来た。繋郭から主郭部にかけてはトレンチが至る所に残っている。縄張図で稲荷社と書かれている場所もそこらじゅう土塁の断面が切られていた。目当ての稲荷社はなかった。どこかへ移されたのだろうか。 |
所在地 | 稲敷郡美浦村根本。 |
参考書 | 『美浦村誌』、『御茶園遺跡』 |