浪岡城

概説 奥州の南朝方の中心だった北畠顕家の子孫宗家「浪岡御所」の居城。築城は1460年頃。1500年代前半に浪岡氏は最盛期であったが、永禄5(1562)年に親族間での争いが起こり勢力が衰え、天正18(1578)年に大浦(津軽)為信に攻められ落城。
 城跡は約136,500平米(東西1.2km、南北600m)。細長い微高地を幅20m、深さ5mほどの二重堀(一部三重堀)で仕切り、新館、東館、猿楽館、北館、内館、西館、検校館、無名館が連立する。
雨雲垂れ込める行丘(なみおか)公園
    その他の写真
  1. 浪岡城の立体模型。中央が北館
  2. 東館(手前)と猿楽館間の二重堀と土塁
  3. 内館(本丸に相当)から北館(家臣団住居とされる)を見下ろす
  4. 北館西側の虎口
  5. 北館北側の折れのある土塁
  6. 青森に着くと虹が出ていた
訪問記[2001/6/1]城址の東側にある浪岡城跡案内所で雨宿りをさせてもらいながら案内係のおばさんに浪岡城の沿革について説明してもらう。これが生の青森弁で、とてもよいのです。
所在地青森県浪岡町浪岡
参考書『図説中世城郭事典1』