概説 | 別名、大曽根城。中城の小字があり、中世城館遺構の土塁と濠が見られ、小田家被官者の館跡、小田進攻時の築城等によるものと見られる。「東國闘戰見聞私記」巻之七に元亀元年八月十三日、結城晴朝は「水守、山木に掛かり大曽根へ打出たり、大曽根の砦には浅野五郎左衛門、同藤右衛門、以下中略、先陣長沼五郎、水谷信濃守千五百余にて攻かかり無二無二に追落とし」とあり、戦国期の結城(多賀谷)対小田一族の平塚原合戦の模様である。[『大穂町史』より] |
千光寺 |
|
訪問記 | [2003/01/13]千光寺東側の老人福祉センターに車を留めて歩き出すと、土塁の北外れの家からいきなり4頭の大きな犬たちのお出迎えがあった。体は大きいがみんな愛想のよい犬たちだった。老人福祉センターとの間の道沿いに土塁が残っている。千光寺境内の土壇も、もしかしたら城の遺構かもしれない。 |
所在地 | つくば市大曽根字中城。千光寺境内。 |
参考書 | 『大穂町史』 |