長峰城

概説 この城全体の特徴は、(1)土塁らしい土塁をほとんど築かず、空堀と段差のみで曲輪を造り出している、(2)要所要所に塚のようなものを築いて防御の一環としている、などの点に求められるが、そのためかかなり古風な城跡という印象を与えている。この城は、在地の築城技術を基本として築かれているようであり、土岐氏の勢力下に入ってからも、本格的な改修の手が入っていない可能性がある。[『龍ヶ崎市史中世編』より]
郭V、VIの発掘現場(2001/02/26)
その他の写真
  1. 郭I(右手)と郭IIの間の堀切は埋められて散策路に
訪問記[2001/02/26]崖の擁壁工事に先立つ調査だそうです。ここからは今のところこれはというものは出ていないとのこと。
[2003/03/30]郭I〜郭Vは長峰東公園になっている(現在はまだ整備途中)。前回2001年に発掘を見に来た場所には展望用のウッドデッキが造られていた。
 今日は龍ヶ崎市歴史民俗資料館で行われている企画展「長峰にあった古墳群と城跡」を見た後で寄ってみた。展示内容からは特に新しい発見は無いようで『龍ヶ崎市史中世編』の内容と同じ時期のものと思う。「長峰民部」の名が出てくる史料として「年月未詳土岐・岡見氏一族・旗下・家臣等覚書」(諸岡武男氏所蔵文書)が展示されていた。「長峰」の名が出てくるのが『東國闘戰見聞私記』とこの文書だけというのはちょっと頼りないのだが。常設展も含め所々展示の仕方に不満を感じました。
所在地龍ヶ崎市長峰町字竜ケ井
参考書『龍ヶ崎の中世城郭跡』、『龍ヶ崎市史中世編』