概説 | 本城跡は文明年間(1470年代)、千葉輔胤が築き天正18(1590)年豊臣秀吉により千葉氏が滅ばされるまで9代、百有余年間にわたる下総守護千葉氏の戦国時代の居城であった。 城は印旛沼を望む標高焼く30mの半島状台地に占地し、南西面を除く三方は水田に囲まれる要害の地である。 総面積は約35万平米、内郭群と外郭群に大きく分かれる。内郭群は城主の館「城山、倉跡」、妙見神社を祭る「奥ノ山」を中心に倉、馬場「東山馬場」などで構成されている。外郭群は「荒上」「向根古屋」「佐倉根古屋」で広大な敷地を有し家臣団の屋敷地や軍団の駐屯地であった。[現地説明板より] |
城山(詰郭)への入口![]() |
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訪問記 | [2002/2/19]このお城へは辿り着くまでがたいへんです。今日は北側(このあたりをトウコウジビョウと言うらしい)に沿って細いオフロードを回っていったので心細かった。東山馬場に車を止めて城山、奥ノ山、倉跡、諏訪神社と歩き、改めてセッテイ山近くへ移動した。籔が深いと聞いていた「セッテイ山」が藪刈りされていてとても歩きやすかった。地元の「城址保存会」の方々の郷土に対する愛情が感じられました。 |
所在地 | 千葉県印旛郡酒々井町本佐倉。 |
参考書 | 『ふるさと歴史読本中世の佐倉』(佐倉市) |