概説 | 別名、若栗城。念向寺(筑波・茎崎霊園およびつくば牡丹園)の北西側の高台に拡がる若栗城址は、牛久沼の最北端、東谷田川の左岸側台地上に位置する。標高20〜25mの舌状台地の突端部は自然の要害になっていて、崖裾には濠がめぐらされ、船着場がいまも残っている。城址の広さは約3万平米、高さ1.2mの土塁や、幅10m長さ100mの「馬走り」もある。 若栗城は、何枚もの厚板を重ね合わせた独特の耐火屋根の低層の近隣諸国と絶えず戦いを繰り広げることのできる質実剛健な地味な城で、長年の籠城に絶えるものではなく戦いが「不利」となればすぐ近くにある見方の城に素早く移動するようになっていたようで、「兵の集合地」「武将の館」の役割が大きい、城というより「館」に近いものだったようだ。 若栗城は、当時一帯を支配していた岡見氏が所有する17の城(館)の一つで、同氏の重臣栗林義長が預かって守っていたが、義長病没後、佐竹、多賀谷軍に攻め込まれ落城した。[現地説明板の内容を抜粋・要約したものです] |
東谷田川に架かる興南橋から臨む |
|
訪問記 | [2001/1/15]稲荷社への階段を登って社の奥へ進むと堀と土塁がわずかに残る(後で知ったことですが、そのさらに奥に二の郭、三の郭があり土塁などがあるようです) [2002/3/18]今日は初めての縄張図描き。ご指導いただいたのは『中世城郭研究会』の勘九郎さん。はるばるお越しいただきありがとうございました。5時間かけて本郭と二の郭がおおよそ描けたかな。なるべく近い内に三の郭を描き足しに行きたいです。 [2002/3/25]三の郭はものすごい籔で外周を回るので精一杯。2時間では郭下の様子までは確認できなかった。さらに北側の一段低い郭の周囲にも土塁が巡らされているようだがそこもものすごいガサ籔のため突入できず。それでも初めての縄張図として一応こんなものが描けました。>>>ひづめの初・縄張図 |
所在地 | つくば市若栗字御城山86外。念向寺(筑波・茎崎霊園)北側の丘の上。 |
参考書 | 「泊崎城址」 |