概説 | 福山館と松前城(福山城)の歴史:永正11(1514)年第二世武田光廣が花沢館(上ノ国町)から現在の松前大館(徳山館)に移り、五世慶廣(松前氏初代藩主)が現在の福山台地に居館を移し、慶長11(1606)年福山館が完成。以来、松前氏は広大な蝦夷地を支配することになる。松前藩は幕府の蝦夷地政策のために、文化4(1807)年から文政4(1821)年の間は奥州梁川に移封となり、館は松前奉行所として使われるが、文政4年に復領し、再び蝦夷地の警備にあたった。安政元(1854)年、天守閣および海防のための7砲台を備えた三の丸を増設してこの松前城が落成。明治元(1868)年、松前城は旧幕府脱走軍により占拠されたが、翌年官軍の手により奪回された。松前城は福山の地に築城されたため、別名、福山城とも呼ばれる。 |
三重御櫓![]() |
その他の写真 |
訪問記 | [2001/07/23]近くを通ったのでちょっと寄った。全体を見るには数回来なくてはならないだろう。 [2002/07/29]今日は松前町内の砲台跡を回る途中で立ち寄った。旧福山城本丸表御殿玄関(福山館のページをご覧ください)など、案外気づかずに通り過ぎてしまうのではないか。 [2005/08/28]来年は『松前城築城400年』ということで、町の雰囲気も少し盛り上がっているようだ。数年前から始まっている松前城復元工事とそのための発掘調査も行われている。ただいまの調査は沖ノ口坂を上がったところの馬出桝形周辺で行われていた。今日は初めて城の北側に隣接する寺町を一回りしたが、ここは閑静な一帯でお寺巡りの好きな方にはお勧めできる。さて本日の松前訪問の目的は、ここ数年来の疑問であった「福山館と松前城の位置関係」を調べることだった。これについては福山館のページをご覧ください。 |
所在地 | 北海道渡島支庁松前町松城 |
参考書 | 函館市立博物館五稜郭分館平成12年度特別展図録『五稜郭』 |