黒石城

概説  別名、黒石藩陣屋。
 黒石城の由来:
明暦2(1656)年、弘前藩2代藩主津軽信牧(のぶひら)の二男津軽信英(のぶふさ)は5000石で黒石に分地し城を築き城下町をつくったが、大名でなかったので居館のある場所をお城といわず陣屋と称していた。だが、陣屋といっても立派な城郭である。文化六(1809)年8代甲斐守親足(ちかたり)公のとき北海道警備の功により1万石の大名に昇格、それ以後藩体制が確立した。明治4年廃藩置県により黒石陣屋は一般に解放され、居館(御殿)は津軽家から黒石町に寄贈され黒石小学校として使用され、現在は御幸公園となっている。別名烏城(うじょう)ともいう。[現地説明板より抜粋]
御幸公園内の城址碑
    その他の写真
  1. 堀切
  2. 堀切底から
  3. 下の坂は陣屋の西界
訪問記[2002/6/7]現在は御幸公園の南部分に堀切をはさんで小さな郭が残る
所在地青森県黒石市黒石。中央公民館南側の御幸公園が目印。
参考書