金田城(こんだじょう)

概説 鎌倉時代初期、小田氏が小田城を築いた頃に造られ、室町時代から戦国時代を過ごしてきた小田幕下(城主沼尻又五郎)の城で、15代氏治が佐竹に滅ぼされるとき、ここも落城して廃城となった。[『桜村史』より]
 現在確認できる曲輪は一つのみである。台地続きに副郭または外郭が設けられていたのかもしれないが、現在確認できない。[図説中世城郭辞典1]
南東からの遠望
    その他の写真
  1. 北側台地(右手)との間の堀切
  2. 土塁
  3. 郭から南側の堀を見る
  4. 南東の櫓台
  5. 東側の堀底
訪問記[2001/12/24]郭を巡る土塁は単調な印象だったが、土塁と堀の比高はかなりある。郭の東側には腰郭(帯郭)がありその北東側に大きな窪みがあったのは井戸跡だろうか?郭の中心部はかなりの竹藪だが土塁上は比較的歩きやすい。『図説中世城郭辞典1』に縄張図があるのを忘れていたが、ほぼ確認できていたと思う。東側の腰郭に二つの井戸跡が描かれているが、南側のものは最近のゴミ捨て穴かと思った。
所在地つくば市金田字館山
参考書『桜村史』、『図説中世城郭辞典1』