古河城

概説 古河城の基礎は平安時代に下河辺行平が築いたといわれる。その後永享の乱(1438)で戦場となる。足利成氏は最初鴻之巣に居館を築いたが、長禄元年(1457)に現在の古河城の地へ移った。近世になって寛永10年(1633)、佐倉城(千葉県)の大改修を行った土井利勝が入城し大規模な整備拡張を行った。渡良瀬川改修工事によって城域のほとんどが湮滅したが、諏訪曲輪の一部(歴史博物館)と御成門に連なる獅子ヶ崎土塁の一部が残存する。また、市内の福法寺には旧二の丸の乾門が移築改変され山門として残っている。[『よみがえる日本の城15』を参考にした]
諏訪曲輪の場所は古河市歴史博物館となる
その他の写真
訪問記[2006/04/10]博物館は休館のため遺構の様子は外から見るだけだった。水堀は博物館の外構として手が入ってしまい堀の面影はない。
所在地古河市中央町。歴史博物館の敷地が諏訪曲輪に相当する。
参考書『よみがえる日本の城15』(学研)