概説 | 眺望すぐれた北浦をのぞみ東・西・北の三方が深田にかこまれて、水濠の役割を果たしている。その中央を西から東へ武田川が北浦に向かって流れている。それがなお一層堅固なものにしている。南は台地より舌状に張り出した高台の字御城に自然を利用した要害地となっている。戦国期に甲斐の武田氏一族武田信久が当地に移りその支配地を武田郷と称し、居城とした。この城は、その子孫八代の通信が築城した。[北浦村教育委員会現地説明板より] |
国道354号線から三郭を臨む |
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訪問記 | [2002/12/23]三郭周囲の堀は豪快。二郭は畑地になっている。本郭は香取神社境内。本郭周囲の堀・土塁も西側は良く残っている。北側の堀底には畝と思われる起伏がいくつも感じられる。 |
所在地 | 行方郡北浦町内宿。国道354号線から香取神社までの一帯。 |
参考書 | 『茨城県遺跡地図』 |