北方平野館

概説 遺構としては、南側と西側の遺構が消滅しているため、全体の構造は必ずしも明らかではない。ただ、その規模や立地などから見て、防御設備をもった土豪屋敷のようなものであったと考えるのが、最も自然であるように思われる。[『龍ヶ崎市史中世編』より]
北側の城壁
    その他の写真
  1. 南側からの遠望
訪問記[2002/01/15]個人宅のため中は見てません。外観を眺めただけ。
所在地龍ヶ崎市北方町字東台
参考書『龍ヶ崎市史中世編』、『龍ヶ崎の中世城館跡』