木田余城ノ内

概説 木田余城はもと台地にあったといわれる。「御りょう」とよばれる地があり、その坂下を城ノ内とよんでいる。城といっても小領主としての館だったのであろう。堀や土塁の跡はみられない。低地に要害(木田余城のこと)を築いたのは、ようやく戦国時代に入ろうとする頃だったと思われる。[『土浦市史』より]
小字「御りょう」の台地を南側から臨む
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  1. 台地から下ってくる坂の下
訪問記[2004/01/26]小字御りょうの「りょう」の文字が出せません。カタカナの「ヨ」の字の下に漢字の「大」と書きます。木田余街道の北側で現在木田余東台という地名になっている台地がそれ。その台地から木田余西交差点へ降りてくる坂の下辺りが城ノ内と思われる。現在国道6号線で行き止まりになっている国道125号線を木田余西交差点まで延長する工事が行われており風景もどんどん変わりそう。
 「御りょう」の台地の後背部は台地続きのため、戦国期になってより要害性の高い低湿地の現在の木田余の場所に水城を作ったものだろう。
所在地土浦市木田余。木田余西交差点のすぐ北側。
参考書『土浦市史』