勝山館

概説天然の丘陵を利用した山城。昭和54(1979)年からの発掘調査で、正面や背後の空壕、壕を渡る橋、門や柵列、20棟余りの倉庫群、住居跡、井戸・木樋などが発見され、150年余りに亘る中世の世界が再現されようとしている。史跡公園として整備中。国指定史跡。[上ノ国町郷土館資料「先人の足あと」より抜粋]
左から花沢館、勝山館、夷王山の遠望
    その他の写真
  1. (ちょっと見落としそうな)国道228号線脇の登城口。他に、館の南側丘の上には駐車場がある
  2. 第一平坦面北側大手虎口手前の姿隠しの土塁
  3. 大手虎口。現在の散策路(階段)と元の道(左手)
  4. 第一平坦面(右手)と主郭部(左手=第二平坦面)を境する二重の堀切
  5. 搦手口下の水場
  6. 勝山館背後、夷王山中腹におよそ600基点在する墳墓群
  7. 桧山番所想定地の一つ、旧笹浪家裏山のホド長根地区の石積みの段
  8. 客殿の西側眼下にあるつるの池。池の周囲は石組みで整えられている。排水路も石組みの暗渠になっている
  9. 東側急斜面途中には姿隠しの土塁で守られている横堀があり、そこから3本の竪堀(人が立っているところ)が掘られている
  10. 堀切から主郭部へ渡る木橋が掛けられ、柵列も再現された(2003.6.16)
訪問記[2001/06/04]初めて勝山館を訪れたのは'98。二重の堀切北側の発掘現場で作業をされていた上ノ国町教育委員会のM田先生に調査で分かったばかりの興味深い話を聞いた。その後も、'99は勝山館ふもとの笹浪家住宅周囲の発掘現場で、'00は勝山館背後の夷王山墳墓群の発掘現場で、そして今年'01は発掘現場ではなかったけれど庁舎で最新の調査に関する話題を説明してもらう。今ではこの勝山館詣は函館お散歩団の毎年恒例の行事になっている。
[2001/06/25]先週草刈りが行われたとのことなので再訪。館の北側の第一平坦面と呼ばれる一段低い部分の北側の大手の虎口付近をじっくりと見た。階段で作られている現在の散策路にまとわり付くようにうっすらと古道が残っているのが分かる。館東側の宮ノ沢へ下りて3本の竪堀や伝・侍屋敷跡なども見たかったが城壁のあまりに急角度なことから降りられず、諦めて上から眺めた。熊も出るらしいし。
 これまでの20年に亘る勝山館調査の成果が最新刊『北から見直す日本史』にまとめられている。道南の中世史、戦国史は研究の途に着いたばかりとも言える。
[2001/08/13]強力な案内役を得て、桧山番所想定地ホド長根地区、東側急斜面にある横堀と竪堀、伝侍屋敷などを見ることができた。
[2002/06/10]今年は5月上旬から6月いっぱい南側駐車場下の墳墓群内で発掘調査が行われていた。来年の展示施設建設予定地のための調査とのこと。これまでのところ十字型の火葬墓や火葬骨を埋葬した土溝などが発見されていた。来週の夷王山祭りのために急ピッチで草刈りが行われていて今が見頃。去年からさらに整備が進み散策路が舗装され歩きやすくなっていたのはよいが、搦手の土橋がコンクリートになってたのにはちょっとガッカリ。
 昨年秋に急逝された石川進氏の遺著『中世のかたち』には勝山館の調査から解ってきたことがまとめられている。さらに津軽安東氏の十三湊遺跡についてもまとめられており津軽海峡を舞台にした道南の中世の展開がわかりやすい。
[2003/06/16]今年も昨年に引き続き、南側駐車場下の墳墓群内で発掘調査が行われていた。今年はM田学芸員から代わったT田学芸員に、土葬墓の木棺・釘・銅銭を見せてもらう。整備事業としては、主郭部(第2平坦面)北側の柵列と堀切を渡る木橋が作られていた。次の整備予定は上国寺脇から堀切までの大手道の整備だそうで、そのための調査が次に予定されているとのことです。整備が進むとお城好きにはギョギョ!とするものが作られてしまうことが多いので早く見た者勝ちですよ。
[2003/07/12]今日は函館高専の公開講座『道南の館(たて)を訪ねて』が開催されたので参加した。南側駐車場から上国寺まで松崎先生の話を聞きながら降りてきた。勝山館へは足かけ6年も来ているのでさすがに新しい話は少なかったが、最近客殿の南東部分で厩と思われる場所が見つかったという話は興味深かった。さて、その馬はどのような用途だったのか。因みに北海道最古の馬の遺物は勝山館から発掘されているそうです。昨年、今年と発掘していた墳墓群、6つのマウントを掘ってみたら20基の墳墓が出てきたそうだ。現在、標柱を付けているマウントは600あるそうなので実際の墳墓はその数倍ある可能性が高いらしい。
所在地北海道桧山支庁上ノ国町勝山
参考書『図説中世城郭事典第一巻』、『北から見直す日本史』、『中世のかたち』