笠間城

概説 笠間城の築城は、笠間時朝が承久元(1219)年に着手し嘉禎元(1235)年に一応の完成をみたといわれる。そして18代の綱家の代の天正18(1590)年まで笠間の地を支配した。その後、蒲生氏、永井氏、浅野氏、井上氏と代が変わっていったが、その間に少しずつ修改築等を重ねて整備されていった。明治6(1873)年に廃城令の出るところとなり、これにより廃棄された。天守櫓は廃藩置県のとき取り壊され櫓材はそのまま佐志能神社の拝殿に、瓦は神社の玉垣に使用されている。[『重要遺跡調査報告書II(城館跡)』より]
天守曲輪の石垣
    その他の写真
  1. 真浄寺境内へ移築されている八幡台櫓
訪問記[2000/02/21]県南唯一の石垣を使った城として貴重な存在。だが、自然に着床してしまった松が将来石垣を壊すのではないかと不安。
所在地笠間市城山616-1外。佐白山(182m)。天守曲輪には佐志能神社がある。
参考書『重要遺跡調査報告書II(城館跡)』