金山城

概説文明元年(1469)、新田一族の岩松家純が家臣横瀬国繁に築かせた。後の享禄元年(1528)、横瀬氏は主君岩松氏を殺害し金山城主となる。永禄8年(1565)頃、横瀬氏は由良氏と改姓。金山城は南に後北条氏、北に上杉氏、東に佐竹氏、西に武田氏と四方を強敵に囲まれながらも、新田・桐生・赤石・館林・足利などを支配した。天正12年(1584)、強大な勢力になった後北条氏は由良国繁・長尾顕長兄弟を幽閉し、金山城には城代清水太郎左衛門尉が入った。[『よみがえる日本の城15』を参考にした]
由良国繁は小田原の役後に豊臣秀吉から牛久城を宛われている。
大手虎口脇の石垣(残存石垣と復元石垣(奥)が同時に見られる)
その他の写真
  1. 物見台下の虎口を内側から見る
  2. 大堀切の畝は石垣作り
  3. 日ノ池周辺はまるで謎の古代文明遺跡のよう
訪問記[2006/06/19]由良国繁を通じて地元牛久城とも縁のある金山城へは一度来てみたかった。関東ではめずらしい石垣を多用した縄張り構成になっている。特に月ノ池と日ノ池の間に作られた石垣の庭園のような空間は、謎の古代文明遺跡といっても良いような独特な雰囲気を持っている。由良氏に依るものなのか、後北条氏に依るものなのか、はっきりしていないらしい。いずれにせよ中世的なイメージとは違うのだが、そのイメージが固定観念に捕らわれているのかも知れない。
所在地群馬県太田市。新田神社、金山自然公園が目印。
参考書『よみがえる日本の城15』