上久野城

概説久野城とも。久野城は、戦国期岡見氏旗下野口式部の居城、天正2(1574)年、佐竹氏属将江戸崎監物の家臣桂左衛門の侵攻を受けて落城となったと伝えられる。城跡は、乙戸川に面する標高20mの舌状台地にあり、面積約16000平方メートルである。本丸跡・土塁及び壕の一部が残存している。(牛久市史資料編(一)より)
東側からの遠望(手前の池は水堀の痕跡でしょうか)
    その他の写真
  1. 本丸北側の土塁
  2. 本丸と二の郭の間の堀は竪堀となって南側へ落ちる
  3. 二の郭西端の堀切に架かる土橋
  4. 二の郭の土塁には横矢も見られる
  5. 本丸は墓所になっていて、古そうな墓石もある
訪問記[2001/10/29]堀はかなり埋まって浅くなっているがけっこう楽しめるお城でした。二の郭北東部附近の土塁には(後世の改変かもしれないが)折れや邪(ひずみ)と思われるような仕掛けが見られた。これに似たものが美浦村の木原館に見られる。また二の郭西側は二重の堀(郭側の堀はかなり埋まっている)で台地側と遮断されている。
所在地牛久市久野字上久野2691
参考書『牛久市史 資料編(一)』