烟田城

概説 烟田城は、烟田集落の上部台地に位置する。この地で烟田氏は、約360年の間、鹿島郡北部の雄として君臨していた。十八代烟田通幹は天正十九(1591)年佐竹氏によって太田(現常陸太田市)で誘殺され、城は佐竹氏の軍勢に攻められて落城した。
新宮小学校地西側の土塁
    その他の写真
  1. 氷川神社北側の土塁
  2. 新宮小学校北側の林の堀
訪問記[2002/12/23]新宮小学校校庭の南西側には氷川神社と烟田公民館があり、その周囲に土塁が残る。小学校の北側林の中にも堀土塁がある。そこから東の西光院の北側へかけて堀土塁が続く。西光院東側の堀はほとんど埋められている。この東側の堀の南端は竪堀のように落ちている。西光院門前駐車場脇の「寺前古墳」はその下の古い道を監視する櫓台として使われていたのではないだろうか。烟田城の道を挟んで西側の一帯にかつて烟田氏がいたそうだ。現在は東京へ移られているとのこと。
所在地鹿島郡鉾田町烟田。新宮小学校、西光院一帯。
参考書『重要遺跡調査報告書II(城館跡)』