上条城(じょうじょうじょう)

概説 南北朝末、関東管領上杉氏が信太庄を支配し、家臣団「信太庄山内衆」のうち大越氏が当城に入って、室町前期に左京亮・大炊助がおり、上杉氏が衰えた戦国時代に大越氏は土岐氏に属し、治部大輔・日向守・三河守がいた。その間、天文年間に落城し一時小田系武将が在城した。戦記物では当城で江戸崎監物が活躍するが信ずるに足りない。城跡は破壊が著しいが、水田に囲まれ一部を堀切された舌城台地の外郭と本郭の輪郭をたどり得る。[現地解説板より]
 また、『阿見町史』上条城跡についての記述の中で外囲いについても触れられている。[『阿見町史』より]
東側からの遠景
その他の写真
  1. 上条城への大手道
  2. 本郭の土塁(左手)と堀
  3. 本郭南側道路沿の土塁
  4. 万蔵院裏手の土塁と堀
  5. 妙行寺裏手の土塁と堀
訪問記[2000/11/13]本郭周辺は草刈りがなされており堀跡をひと回りできた。万蔵院や妙行寺裏手の薮の中には土塁・堀がよく残っている。
所在地稲敷郡阿見町上条
参考書『阿見町史』