野駄館

概説 中野氏は南部御三家に数えられた重臣で、諸大名の参勤交代が成文化すると幕末まで、八戸、中野、北の三家と交代で江戸番に勤務した。
 この中野氏は文禄・慶長中は志和郡片寄に居城していたが、慶長末年から郡山城(紫波郡)に移住、寛永6年郡山城が南部藩直轄地となったための領地替えで寄木村・北森村を所有することになった。そして、これらの地を展望できる野駄の地に常駐でないにしろ代理の家来を居住させる館屋敷を築いたことにより、後世「野駄館」と呼ばれるようになった。[現地説明板より抜粋]
館公園駐車場から
    その他の写真
  1. 郭周囲の犬走りと土塁
訪問記[2002/8/31]時間に追われて公園部分を一回りしただけ。整備されていない籔の中によさそうなところがありそうだった。また、ご縁があれば来てみましょう。
所在地岩手県松尾村野駄
参考書