石岡城

概説 田島1丁目の札掛明神付近は律令時代の茨城郡家跡と推定されている。ここに、鎌倉時代の建保2(1214)年常陸大掾馬場資幹(すけもと)が石岡城を築いた。南北朝時代に大掾詮国(あきくに)が府中城を築いて本拠をそちらへ移した後は外城(とじょう)と呼ばれるようになり、石岡某、札掛兵部之助、田島大学などの居城として天正18(1590)年に大掾氏が滅亡するまで続いた
札掛明神社近くの畑の中に残る土塁
    その他の写真
  1. 本城城壁と横矢
  2. 恋瀬川を挟んで南方向に三村城が臨める(右手遠方の青い屋根付近)
訪問記[2001/05/07]茨城郡家跡と言われる台地は日当たりよく、南に恋瀬川を臨む風光明美の地。南方の大地上に三村城を臨める。
 石岡の市街地への帰り道、常陸大掾氏の墓所と言われている平福寺へも寄った。
所在地石岡市田島1丁目8番。札掛明神社付近。
参考書