今泉城

概説小田氏の支城の一つ、戦国時代に、東方の護りとして築かれたものと思われる。城主については、今泉五郎左衛門などの伝承があるけれども、その系譜や事跡はほとんど知られていない。この城の歴史も明らかでなく、その落城についても事情や時期が不明である。恐らくは小田氏の没落と運命を共にしたのだろう、と考えられている。
この城は二重の堀をもった本格的なもので、南から東へと北に連なる外堀は今では小川になっている。現在土浦では、中世の城の形態をもっともよくとどめる城跡である。[『土浦市史』より]
北側からの遠景
    その他の写真
  1. 北東側の堀跡は現在は暗渠になっている
  2. 二の丸と三の丸の間の堀は畑になっている
  3. 本丸と二の丸の間の堀には相横矢の仕掛けがあった
訪問記[2002/5/6]今泉は新治村・八郷町の山並みも近く、土浦市内とは思えないような田園地帯。今泉集落の周囲にはかつては谷津だったと思われる水田が巡り、要害であったことを想像させる。『土浦市史』の縄張図を見ると本丸と二の丸の間の堀には相横矢の仕掛けが描かれている。現在、堀は畑にするためにかなり拡げられまた形状も変えられているが、横矢の南側の部分はそれなりに分かる。
所在地土浦市今泉
参考書土浦市史