飯沼城

概説 上飯沼字館ノ内にある城跡で、南北朝期に桜井尊房という人物が築城したとの伝承をもつ。注目されるのが、応永2(1395)年の文書に小田・宍戸氏の一族として登場する飯沼山城守という武士の存在である(「米良文書」)。もとよりこの飯沼山城守が、茨城町の上・下飯沼一帯の支配者であったという確証はないが、飯沼の地が宍戸荘または小鶴南荘の一部であったことからみて、ここに飯沼を名字とする宍戸氏か小田氏が存在した蓋然性は高いといえよう。[『茨城町史・通史編』より]

    その他の写真
  1. 本丸内の土塁
  2. 西隣の福性寺もかつては郭だったか
訪問記[2001/02/19]1981年出版の「茨城の城館4」の飯沼城の出だし部分には「城郭の跡はほとんど原形のままで、あまり荒れておらず、名前のみの古城跡の多い現在においては貴重な史跡であるといえる。」と書かれている。その後の二十数年の間に北と南の各郭は湮滅し現在は本丸のみゲートボール場などに利用されながら残っている。
所在地東茨城郡茨城町下飯沼。福性寺の東向い、川根小学校の南隣。
参考書『茨城の城館4』、『茨城町史・通史編』