飯沼陣屋   関連ページ:銚子の台場

概説 天正18年(1590)徳川家康の関東入国に伴い松平外記伊昌が飯沼領二千石で入部した。この時の陣屋は中世の飯沼城跡(飯沼観音の地か?)か、後に高崎藩が用いた陣屋の地かは不明。その後、幕府領、旗本知行地などとなっていたが、宝永6年(1709)海上郡17ヵ村、5000石が上野国高崎藩領となった。その後、享保2年(1717)幕府領となるが、同年中に海上郡17ヵ村、5619石余が再び高崎藩領となり、以後幕末まで変わらなかった。この銚子領を管轄するために陣屋を構えた。明治五年(1872)高崎県支庁が廃されるまで、百五十余年の間、この地に陣屋が置かれた。陣屋跡は現在陣屋町公園となり、「旧陣屋跡」の石碑が立っている。[『国別 城郭・陣屋・要害・台場事典』より]
陣屋町公園にある石碑
その他の写真
訪問記[2004/09/19]銚子の海防関連の陣屋・台場で場所がはっきりしているのはここだけだ。と言っても遺構はなく石碑が建つのみ。
所在地千葉県銚子市陣屋町。陣屋町公園に石碑がある。
参考書『利根川図志』、『国別 城郭・陣屋・要害・台場事典』