大形東田土塁

概説 この土塁は、江戸崎からの本道が雀久保土塁を通過した直後に、本道より分かれて北に向きを変え、数百メートル進んだ地点にある。これは木原方面に伸びる馬の背道を塞いでいるもので、江戸崎城よりこの方面に対しての土塁では最外端に位置している。土塁の全貌は、湮滅部分がほとんどであるため掴めないが、僅かに一部の残存が見られる。かつて大型トラクターの深耕によって、地中に埋もれていた堀底が露呈した。これは明治期の大手開墾(土屋農場)の時、削平・消滅の運命に遭遇した堀跡であったことが分かり、一部残存している堀・土塁と新発見の堀とをつなぎ合わせると、清明川水系と高橋川水系の谷津頭を結んで構築されている。さらに街道に面した部分には、数十メートルの長さのクランク状のものがあって、これは寄せくる敵軍に横矢を浴びせる仕掛けと考えられる。[『阿見町史』より]
サーストン牧場北側S字になっている道の西側の杉林の縁にわずかに残る
その他の写真
訪問記[2000/11/07]見つからず。
[2001/03/25]東西の谷津の位置を地形図で確認してその間に想定した土塁ライン上を探索した。それらしき盛り上がりと窪みがあったので、一応ここと考えておくことにした。その土塁の西側延長線上の杉林の中に谷津へ落ち込むような低い土塁・堀らしきものあり。付近で農作業されている2人の方に聞いたがまったく知らなかった。
[2004/05/04]前回見た場所で正しかったようだ。杉林の中土塁の南側に土塁に接するように方形の削平地があるが、関所か駐屯場所だったのかもしれない。
所在地稲敷郡阿見町大形。君島交差点の南側約750m。サーストン牧場の少し手前でS字カーブが始まる所の杉林の北縁に30mほど低い土塁が残る。
参考書「阿見町史」、「阿見町史研究第3号」