林中城

概説 通称、桂山城。『重要遺跡調査報告書II(城館跡)』では林城となっている。林外城と300mほどの距離で向かい合っている。
 鎌倉時代に大掾平氏の族鹿島三郎成幹の第6子、六郎左衛門頼幹がこの地に分家して林氏を称した。天正6(1578)年以後内紛が起こっていたが、天正19(1591)年、当時の城主林清貞は佐竹の招きに応じ城を出て太田へ向かう途中、札の渡し場(大洋村)で家臣に殺害されたと言う。[『重要遺跡調査報告書II(城館跡)』より]
西方からの遠望
その他の写真
  1. 台地南端部の土塁と帯郭
  2. 外郭北縁部
訪問記[2005/01/11]城址部分には住宅があるようで「関係者以外立ち入り禁止」の立て札がある。その少し先に堀切のような堀跡がある。ここに堀切があるのは理に叶ってはいる。ちょっと失礼して少し奥まで入らせてもらったが城館遺構らしきものは見当たらなかった。
[2005/01/17]以前、潮風さんと五郎さんが外郭部の遺構(潮風さんの『常陸国の城と歴史』より)を確認されていたということだ。今日は台地南端部の水田の所から斜面を登ってみた。幅10mほどの帯郭が廻っていた。帯郭に沿って西側へ回っていくといつの間にか辺縁部に土塁が現れ横堀になっていた。帯郭に見えたところもかつては土塁があったのかも知れない。
[2005/04/10]広憧院の北側150m辺りで道が食い違いになっている部分があり、そこから東西に堀切があったと思われる。東西へ道を少し入ると土塁と堀の跡が見られる。ここが外郭の北縁部となる。
所在地鹿嶋市林字中城867-1外。広憧院の300mほど南側の林集落の南端。
参考書『茨城県遺跡地図平成2年度版』、『重要遺跡調査報告書II(城館跡)』