概説 | 平安時代の末期、常陸大掾氏の一族鹿島三郎成幹の六男頼幹が林氏を称して築城したと伝えられるが、現在の位置に城が築かれたかは不明。城の歴史が明らかになってくるのは室町時代以降で、林氏は自領の保全と共に、城の整備も進めて行ったものと思われる。天正17(1589)年、城主林時国は、札村において荒原五郎左衛門なる者に殺害され、林氏は断絶、城も廃城になった。[『図説中世城郭辞典』より] |
南西方向からの遠望 |
その他の写真 |
訪問記 | [2005/01/11]『余湖くんのホームページ』の林外城・林中城の解説と鳥瞰図のおかげで楽しめた。余湖さんも書いているように1郭の土塁の高いこと。また、西側と南側の土塁はとてもきれいで歩きやすい。堀切がまた巨大で1郭南東の櫓台から堀底までは10m以上はありそうだ。 [2005/04/10]2郭の北東側下を歩くと竪土塁が3本ほど認められた。 |
所在地 | 鹿嶋市林の南端。主要地方道18号線の塚原西または林入口バス停辺りから北東方向へ入っていく。広憧院の南南西600mの北側へ張り出した舌状台地突端。 |
参考書 | 『図説中世城郭辞典』 |