八田館

概説 室町時代の初め小田氏八代孝朝(1337〜1414)が構えた居館。古くより水陸交通の要地であり、南北朝争乱当時小田氏は行方・稲敷の勢力に対する水上防御の拠点として重要視していたものであろう。[『出島村史』より抜粋]
東側から(蓮田を渡るコンクリート橋の西側が館跡)
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  1. 館跡は南側(霞ヶ浦側)が高くなっている
訪問記[2002/9/23]館址としての遺構らしきものは見あたらなかった。
[2002/9/29]前回見たところの西側の丘が館の主要部だった。ここも遺構らしきものはないが最上部はおよそ40m四方の平坦地になっていて南側(霞ヶ浦側)辺縁が高くなっているのは土塁の跡かもしれない。
所在地霞ヶ浦町大字牛渡字八田
参考書『出島村史』