原口館

概説 この場所は道南十二館の一つ「原口館」の候補地だったが、発掘の結果、擦文土器が出土し、10〜11世紀の遺跡であることがわかった。そして、北海道の環濠集落では最大規模のものである。[北の内海世界より]
 原口館は1457年、アイヌの指導者コシャマインに攻め滅ぼされた道南十二館の一つである。館主は、岡部六郎左衛門尉季澄であった。この館跡を発見すべく平成2年、4年の2カ年にわたり、発掘調査を実施した。その結果、幅約3m、深さ約2.5m、延長約120mに及ぶ空堀の跡が発見された。空堀は新旧二時期あり、新しい段階のものは3つの郭に分かれていた。空堀の内部やその周辺からは多量の擦文式土器などが発見され、空堀は中世のものではなく、古代のものであることがわかった。空堀をめぐらした古代の集落は、東北地方北部から渡島半島南部にかけて例があり、この時代が戦乱のつづいた緊張した時代であったことを物語っている。[平成5年4月 松前町教育委員会、原口館を探る会]
旧国道脇に原口館の説明版は立つが、その場所は確定していない
    その他の写真
  1. 国道228号線からの遠望
訪問記[2001/7/23]現地は草原になっている。
所在地北海道渡島支庁松前町原口。原口漁港北側の台地。
参考書『北の内海世界』