訪問記 | [2001/12/02]13時30分から小田城の現地説明会を聞いた後、阿見町の大竹先生方といっしょに立ち寄った。前回(2000/3/27)に来たときにはまったく場所を見つけられなかった。本郭内は畑となっている。本郭南西側の崖下には帯郭と思われる平坦地が取り巻いている。手元に縄張図がないので詳しくは分からないが、『日本城郭体系4』の航空写真を見るとかなり広いようだ。
[2003/04/07]城域北東側、精泉寺北側には立派な土塁と空堀が残る。土塁と空堀はそこから西へ伸び、(途中は分からないが)遍照寺の手前は残っている。おそらく遍照寺も土塁内であったと思われるが墓地の造成で湮滅したと思われる。八坂神社西側の低地は自然の堀跡だったと思われる。対岸の桜がきれいだった。
[2003/04/27]今日は城域南東側「中城」の台地を見てきた。国道125号線藤沢十字路から南へ400mほど行った辺りから左斜めへの細い道を上がると正面に怪しげな土塁がある。ここでバラ農園を営まれている「バラの御大尽」と言われる方に声を掛けて土塁周辺を見させてもらう。中城の土塁は『重要遺跡調査報告書II(城館跡)』では単純に一本に描かれているが、実際は中央に横矢の張り出しが認められ、南側台地端下には堀があることも確認した。この南側台地下への続く堀(堀底道)は現在は写真の様にゴミ捨て場状態だが、作業をされている地元の方にお聞きしたところ「今は獣道ですが昔は筑波線常陸藤沢駅へ降りて行く道として使っていた」とのことです。どこへ行っても似たようなものではありますが、地元の方々はこういう周辺部の遺構は城址として認識していないようです。多くの人が認める中心部はなんとか残せても周辺部の保存がおざなりになってしまうのは心配なことです。 |