府中城

概説 石岡小学校の西、空堀を隔てて城中山(じょうちゅうやま)と呼ばれる。南北朝時代の正平元(1346)年、大掾詮国が築いた。天正18(1590)年12月、佐竹義宣に攻められて落城。
市民会館裏(石岡小学校入口)に残る土塁
    その他の写真
  1. 石岡小学校西方に残る深い堀
  2. 二の丸(手前)と城中山(向う側)の間の二重堀の跡
訪問記[2001/05/07]二の丸の地でお話をしてくれたおばさんによると、二重堀はつい1、2年前に埋められたとのこと。写真2の左手に見えるこんもりとした塚は二重堀の中央の土塁の残存。眼下の堀底はその時まで水をたたえていて鈴ケ池と呼ばれていたとのこと。
所在地石岡市総社1丁目
参考書