大日山城(だいにちさんじょう)

概説 今のところ、この城がどのような性格を有していたのか、その詳細は不明であるが、この塗戸町一帯も土岐氏の領土の一部であったことを想起するならば、土岐氏の家臣の誰かが拠っていた、と考えて大過ないであろう。[『龍ヶ崎市史中世編』より]
櫓台には大日様が祀られる
    その他の写真
  1. 堀切の南端
  2. 東側土塁
  3. 幅15〜20mの堀切は市内城郭でも最大級
訪問記[2002/03/10]西光寺側から民家の間を通り畑を抜けると籔の向こうに南北方向に堀切が見えて来た。堀切沿いにしばらく南へ進むと堀切を横切る土橋が見つかる。土橋を渡った正面に大日山である櫓台がある。堀切の東側が郭になっていて土塁で目隠しされている。内部は祠の礎石が散乱する小山と浅い溝以外は特別何もない。郭の東側に沿って土塁が巡らされている。下記の資料によると堀切の西側には城郭の遺構は無いとのことだが、西側の台地のくびれをもう少し堀切等で切っておけば防御も堅くなるのではと感じてしまう。
所在地茨城県龍ヶ崎市塗戸町字富山
参考書『龍ヶ崎の中世城郭跡』、『龍ヶ崎市史中世編』