堀ノ内遺跡

概説 別名、赤浜東叡山跡、百間濠(『村史千代川村生活史』)。
 「堀ノ内遺跡」は、周囲に200m四方もの堀を持つ鎌倉時代の館跡です。館の主はわかりませんが、足利氏の居館だった鑁阿寺(ばんなじ=栃木県足利市)に匹敵する大規模なもので、かなりの勢力を誇った武士とみられます。県内で鎌倉期の館跡(それ以後使われた痕跡がない)が発掘された例はあまりなく中世初期の歴史を解明する貴重な手がかりになるかもしれません。[明野町による現地説明板より]
南濠跡
訪問記[2002/11/24]一辺約180mのほぼ正方形の濠で囲まれているために「百間濠」の別名があるのだろう。西濠(県道沿い)や東濠(赤浜神社西側)に僅かに残る土塁を見る限り、典型的な中世居館とは違い濠の外側に土塁が盛られているようだが、これは古代の環濠集落で見られる形態だと思う。しかし、このことは発掘調査現地説明会資料(昭和62年)では触れられていない。
所在地真壁郡明野町赤浜。赤浜神社西側の承和寺跡と云われる方形の畑地の周囲を濠が取り囲む。
参考書『茨城県明野町堀ノ内遺跡発掘調査現地説明会資料』(昭和62年)、『村史千代川村生活史』