会津陣屋

概説上磯町飯生町に、口伝によれば元禄年間(1688-1704)、下国氏が寄進した稲荷神社がある。この一帯は「陣屋の内(なか)」と呼ばれており、現在でも「陣屋橋」という橋がある。大正2(1913)年、函館-上磯間に鉄道が開通し、この工事が行われるまでは土塁も残っていたという。どういうわけか、この陣屋は「会津陣屋」とか「会津の蔵屋敷」と古老によって言い伝えられてきた。[はこだて歴史散歩P250より]
飯生(いなり)稲荷神社
    その他の写真
  1. アサノセメント工場。陣屋の西の端
訪問記[2001/7/23]飯生稲荷神社はあったが、陣屋橋は見つからなかった。
[2001/7/30]上磯町の郷土史に詳しい方に、陣屋橋は現在はないことを教えてもらった(川は暗渠となって道路の下を流れている)。驚いたことに、つい最近埼玉県でこの会津陣屋の絵図が大福帳の様に綴られた形で見つかったとのこと。そのコピーを見せていただいたが、西は現在のアサノセメント工場まで、東は現在の久根別あたりまでの広大な領域であったようだ。さらに、飯生(いなり)の地名を使うのは南部藩に関連しているそうで、ここには南部陣屋もあったとのこと。会津陣屋と南部陣屋の存在の時間的なズレなど、まだ詳しいことは分かっていない。
所在地北海道渡島支庁上磯町飯生。「陣屋の内(なか)」は飯生稲荷神社の付近。
参考書『はこだて歴史散歩』