武道とは、古来からあった武術にさらに工夫を加え、戦国時代末期から安土 桃山、江戸初期にかけて「道」にまで高められたものである。
 古来から、武器を持って戦場で戦うということはあった。しかし、日常から 武器を携帯し、本格的に武術の訓練をするのは、平安中期に武士団が成立してか らである。平安後期から、鎌倉、室町、戦国、安土桃山とすぎる間、大小の戦乱 は途切れることはなかった。特に戦国時代になると、その戦乱は最高潮に達する 。戦国大名たちは、武術に熟達した者を競って召し抱えた。武術に熟達した者も 、召し抱えられるため、さらにその技を磨いた。また、一般庶民は、自分自身や 家族を守るため、武術を行わざるをえなかった。そのため、戦国時代の終わりか ら、安土桃山、江戸時代にかけて、有名な武芸者が多数輩出する。
 しかし、この時代は、武術にとって大きな転換期であった。まず第一に、鉄 砲の伝来である。百戦錬磨の高名な武将も、名もない足軽の一発の鉄砲玉にあえ なく、落命する時代となった。鉄砲が戦場での勝敗を決定する大きな要因の一つ となった。
 第二には、江戸幕府の成立より、平和な時代が到来したことである。武術の 目的が大きく転換したことを意味している。それは、武術は争いに勝つためのも のではなく、争いを鎮めるためのものとなったのである。
 これにより武術が新しい時代を迎えたというのではく、本来の「武」の姿に 戻ったにすぎないと解釈できる。つまり、「武」とは、「矛」を「止」めるとい う本来の意味にである。
 さらに幕府は、武士の修練のために武術を大いに奨励するのである。
 それまであった争い、勝利するためだけの武術から、平和な時代における自 己防衛さらには自己修練のためのものに昇華した。つまりそれが「武道」なので ある。これは殺人剣から活人剣への成長である。まさに「剣は人を活かすのはか りごと」となったのである。
 武道は、剣や体の動きから、心の持ち方、さらには武家社会における生き方 へと発展していくのである。
 このようにして、室町、戦国、安土桃山、江戸時代に成立した武道を特に古 武道という。
 明治時代になると、武道はまたしても大きな転換期を迎える。
 それは武家社会の消滅であり、帯刀の禁止である。 命をかけて自分の身を 守る必要はなくなった。明治以降に成立した多くの武道は、近代スポーツの影響 を受け、競技形式を取り入れることになる。そのため練習は、競技に勝つための ものとなった。争いを止める武道から、争いそのものを目的とした武道への転換 である。
 これが現代武道の成立である。

 さて、大東流はこの古武道の考え方を多く継承している。その特徴を列記す ると、まず、試合がない。稽古は型稽古だけである。護身のためのものであるか ら、こちらから仕掛ける技は一部を除いてはない。技の原則は相手の力を使う。 これでは大東流同士の試合は成り立たない。
 構えがない。構えること自体がすでに争いの心をもっていることになる。ま た、構える余裕があるのなら、その窮地から脱すればよい。
 ルールがない。生きるか死ぬかの時はルールはない。使えるものはすべて使 うのである。
 このように大東流は、競技形式をとる現代武道や、西洋スポーツとは全く異 質のものである。多くの古武道と同様に大東流は競技に勝つために練習するので もなく、体を鍛えるために練習するものでもない。本来大東流の技は、生か死か の状況において、生き残るためのものなのである。争わないために稽古するので ある。

 現代社会において、生か死かという極限状況はきわめて希である。しかし、 毎日を生きることの中で私たちは、絶えず多くの問題と直面して生きている。そ れは、暴力的状況だけではない。日常的なこと、仕事上でのこと、人間関係のこ と。そんな時、大東流合気柔術をしていたことが私たちを支え、それを乗り越え させてくれたら、大東流合気柔術は、試合で勝つことや単に体を鍛えること以上 の価値を私たちに与えてくれたことになる。
 古武道としての大東流はまさに「生きることのはかりごと」なのである。


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