◎昭和二十三年三月二日の宵節句に、東京は下町本所北割下水に生まれました。
実家は爆弾あられ、そば屋、寿司屋、天麩羅屋、おでん屋といろんな事をやってましたですね。ガキの時分から母親に鈴本演芸場なぞに連れて行かれ、寄席演芸に馴染みました。後年母親はそれがまずかったとよく言ってましたっけ。
明治大学に入学後、話し下手を直すため落語研究会に所属したのが運の尽き。教科書代からなにからすっかり寄席へつぎ込み、大学二年で落第必至を機に

◎昭和四十三年二月、故十代目 金原亭 馬生に入門、金原亭 駒七となる。

◎昭和四十七年十一月 二つ目昇進 六 代 五街道 雲助となる。
 
本当ははっきり文献に残っている名前ではないので、正確には何代目だかわからないのですが、師匠に手拭いの柄をお願いした時に「六代目でいいだろう」と師匠が勝手に柄に六代五街道雲助と入れてしまったので、それから六代目と云うことにしています。
 
◎昭和五十五年 一時世間を騒がせた第一期「真打ち試験」に合格。
 
何せ、合格者不合格者の名前がスポーツ新聞に出ましたからね。不合格者の方の噺家の顔写真が載っているのには驚いた。
 
◎昭和五十六年 真打ち披露  現在に至る、てぇ訳です。
 
と云うことは噺家になって・・・ゲッ、さ、三十年!! イヤハヤ
噺家老い易く、芸成り難し ですな。 嗚呼!


なかなか内容の更新がままなりませんが、今後もっと勉強して充実させていく積もりです。

どうぞ宜敷く。


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