・若い時分から老けていた。
 昭和三年生まれ。と、なっていますが、なにしろ父親の志ん生師がぞろっぺいでしたから出生届が遅れて、本当はその前年か或いは大正じゃないかとも言われています。一月十日が誕生日なんですが、志ん生師のおかみさんが「清の生まれたときは暑くてねぇ」と言っていたてぇますから、やはりおかしい。
 あたしが入門した時で師匠は四十歳ですが、とてもそうは見えませんでした。頭はほとんど白髪で、背を丸めて歩く姿は年寄りの雰囲気でした。もっとも師匠も老けてみられるのが嫌てぇわけではなく、というより老けてみられたがるところも有りましたですね。おかみさんが「又、髪を染めてみたら」と言うと「いいんだよ。それより弟子をみんな白く染めてしまおう」と言って弟子を脅かしてました。
 理事会で師匠が「これからは三平さん達若い人たちに頑張って貰って」と言ったところ、居合わせた三平師匠が「あーん、師匠、師匠。あたしのが年上」とおでこに手をやったてぇのは今でも語り草の一つです。
 
・本当かね
 ヤケに年寄りっぽかった師匠ですが、あたしが入り立ての頃は子供を連れてプールへ行ったりなんぞしてました。兄弟子が師匠に「師匠泳ぎは出来るんですか」と聞くと「馬鹿なことを言っちゃいけない。俺は若い頃はカッパの美濃部と呼ばれたんだ」てぇました。
 兄弟子の今松さんが柔道の黒帯で、その話になると「俺も昔は講道館の黒豹と呼ばれたんだ」と言いました。
 二番目の娘さんが活発でナナハンを乗り回してたんですが、その話になると今度は「俺も昔はインディアン(古いっ)に乗って第二京浜を飛ばしたものだ」てんですが、本当かなぁ。師匠が単車乗り回している姿なんて、まるで想像できない。
 
・満更嘘でもない
 でもまるで嘘と云う訳でもないようなんですね。楽屋でこの話になった時に志ん朝師匠が「いや、満更嘘でもないんだよ。俺が子供の頃にやけにバンカラな連中が四、五人で来て大きな声で『おーい、美濃部いるかッ』てぇと、兄貴が『おぅっ、誰々に誰々か。こっちへ上がれっ』って、やってたんだから」てぇましたら、楽屋の連中は冗談だと思って笑うと「いや、本当に、冗談じゃないんだよ」と真顔で言っていましたから、そんな時もあったのかも知れないですねぇ。
 
・小さん師匠と喧嘩をしない訳
 柔道の話の時に、「俺は講道館ばかりじゃなく、鬼頭流(起倒流?まさか亀頭流じゃないでしょう(^^;;)の柔術も心得てん。この柔術は身を守るためのものじゃなくて、人を殺すためのもんなん。だから小さんさんがどんなに竹刀振り回したってどうってことないン。もし小さんさんと喧嘩をしたら、あたしゃ殺しちゃうよ。だから喧嘩をしないんだ」と言ってましたけど、なんだかなぁ。
 
・よく飲んでました
 ご承知の通り、酒仙と言われたくらい酒が好きでした。朝、師匠の寝床をかたしに行くと、枕元にビールの小瓶が一本空いて有りました。つまり朝目が覚めたときに飲むんですね。それから下へ降りてきて、自分で神棚の水を替えて手を合わせて、長火鉢の前に座ると、脇にある菊正宗の一升瓶を取り上げて、薄手のコップに注いでチビリと飲み始めます。その頃で大体二日で一升空いていました。その他に外で飲むんですから、トータルすると結構な量でした。
 
・山手線上戸
 酔うと同じ話が繰り返されるんです。あたしらの方でアラクマサンなんて事を云いますが、二度三度なんてぇ生易しいもんじゃありません。軽く十回は越えてきます。十七回まで数えてやめたと云う弟子もいました。こりゃ結構辛いものです。師匠の方はご機嫌で、繰り返す度に話が少しづつ変わってきたりする。ま、その辺は面白かったですけど。あたしらも古くなって慣れてくると、巧みに師匠の話題を変えたり出来るようになりました。別の話題に水を向けると、軽く目を剥いてその話題に乗ってきます。それでもやっぱり五六回は聞きましたですね。
 
・小言にならない
 で、酔ってくると声が小さくなるんですね。普通の人とあべこべで。と言って別に陰にこもってくると云う訳ではないんです。ご機嫌で話しているんですが、言葉より顔と仕草で話すようになる、フェイスランゲージとでも云いますか。ですから聞こえないところは師匠の表情でこちらは判断をするわけです(^^;;;。その時の様々な表情が今でも目に浮かんできます。
 或る晩師匠の仕事のお供の帰りで、日暮里の家まで行きました。その時一緒だった兄弟子と師匠の前に二人並んで座っている内に、なんとなく小言っぽくなりました。いつもの様に酒を飲みながら「いいか、酒は飲んじゃいけない。いけないよ。そして高座は陽気に大きな声を出すんだ。大きな声を」とよく聞こえない小さな声で何度も繰り返しました。この時の事もよく覚えています。その時一緒に小言を喰らった兄弟子は酒の為に早死にをしてしまいました。
 
・へべれけ
 それでもへべれけに酔ったのを見たのはさほど多くありません。一度お正月に池袋演芸場へ、大分きこしめした様子で入ってきました。あたしは前座でしたが、いささか心配で師匠の高座を脇から見てましたら、小咄をやりましたけど、これが滅茶苦茶。「この土瓶洩るね。はい拭きましょう」なんてやってる。自分でもこりゃいけないと思ったんでしょう「それでは立ち上がって踊りでも」と、何を踊ろうとしたか忘れましたけど、紋付き袴の正装のまま、踊り始めた途端によろよろっとよろけて後ろの襖にドーンとぶつかりました。ぶつかった形のまま脇で見ていたあたしを見て、ニターッと笑ったんですが、こりゃ気味が悪かった。
 
・高座度胸
 金原亭馬生と云うと繊細、緻密な芸の様に思われていますけど、弟子の目から見るとまるであべこべでしたですね。どんな大根多でも、又久しぶりにかける根多でも余り復習わずにかけてしまいます。まだ目黒に寄席があった頃師匠の真打で、楽屋で「何をやろうかなぁ」と考えている内に上がりの時間になりました。楽屋が地下でしたから、階段を上がりながら「うーん、そうだ、ちょうじちょうじ」と言いながら高座でいきなり「名人長二」を始めたのには驚きました。確かその日から何日か連続でかけました。その高座度胸には度々驚かされました。
 
・強情
 高座度胸が良い分、噺は大雑把なところがありました。言い間違いはのべつでした。もっとも有名なのに金亀の間違いというのがあります。ラジオで「子別れ」を演った時に、子供の名前が始め金坊だったのがいつの間にか亀に変わり、その後又金坊になり亀になりで訳が分からなくなっちゃった。その後この放送を聴いた方から「子供の名前が何度か変わりましたが・・」と師匠に直接電話がありました。ところがあたしの師匠は絶対に間違えたとは言いませんでした。「いえ、あれでいいんです。昔は子供の事を総じて金坊と言ったもので決して間違いではありません」そんな馬鹿なことはないけれど相手をそれで納得させてしまったのが凄い。
 
・事欠かない
 この手の噺には事欠きません。紀ノ国屋寄席で「金明竹」を出しましたけど、やはり復習わずに高座に上がりました。「金明竹」の様な言い立てのある噺を復習わずに上がるなんて事はあたしらにはとても真似できません。案の定言い立てが「うーん」「それで・・」「でこのー」という訳の分からない接続語の連続になりました。二度目三度目の言い立ても、ハナはすらっと出て今度は大丈夫かなと思うと、又「うーん」となる。それでもどうやら終えたんですけど、当時紀ノ国屋寄席には「お尋ねします、お答えします」というコーナーがあって丁度師匠の番でした。客に質問を取ったところ「今の言い立てが三度とも違いましたが・・」てぇのが出た。あたしならすぐに謝っちゃうとこですけど、師匠はまるで驚かない。「エーあれは、昔名人と言われた圓喬と云う噺家が、あれだけ長い口上を三度とも同じに言える訳がないと、三度とも言い立てを替えました。あたしもそれに倣ったんです」と言ったらお客が「ほーっ」と納得しちゃったんですけど。不思議な説得力がありましたですねぇ。
 
・まだある
 まだあります。「文七元結」で女郎屋の名前が佐野槌だったり角海老だったりしました。降りてきたところで弟子の馬治というのが「師匠、女郎屋が佐野槌と角海老二つ出てきましたが」と訊くと「ああ、佐野槌は代替わりをして角海老になったから、どっちでもいいんだ」うーん。
 あたしが前座の頃師匠が鈴本の真打で「宿屋の富」を始めました。袖で聴いていると、一文無しが宿を出て本来ですとこれから湯島天神の富の場面になって、二番富云々で大いに盛り上がる所なんですが、師匠はここがスッポリ抜けてしまいました。いきなり一文無しが自分の富札を見比べ始めたん。で師匠もここら辺りで抜けたという事に気がついたけど、幾らごまかすのが上手くてもここまで来ては二番富云々は入れられません。なにせここまで10分もかかっていません。このままやればあと5、6分で終わってしまいます。まさか真打で15分でハネる訳にはいきませんから此の後の富に当たっていると分かるまで、又富に当たってからの反応のクサイのなんの。どうやら二十分ちょっとにして降りてきました。あたしが「師匠、二番富のくだりが無かったようですが」と訊くと、「ああ、上方ではそんなやり方もする。俺も時々やるけどクドくなるから、今日は江戸前にやった」(^^;;; あのクサさは余り江戸前と思えなかったけど。
 
・実戦の芸
 亡くなった圓生師匠が私の噺は道場の芸で志ん生は実戦の芸だと言ってましたけど、そうした意味ではあたしの師匠も実戦の芸だったと思います。ノって演った時の良さてぇのはなかったですからね。人形町の末広で師匠が真打でした。寒い時分で客はそこそこの入り。仲入りが圓生師匠でひざ前が小さん師匠でした。その晩珍しく早くから出演者が楽屋に揃いました。末広の楽屋は高座の脇で高座の様子が良く分かります。圓生師匠が上がって「夢金」をやりましたが、これがよい出来だったんですね。「はい、お先に。てへへ」と機嫌良く帰っていきました。続いて小さん師匠が「睨み返し」を。これが又良かった。「お先ぃ」と帰りました。これをずっと楽屋で聴いていた師匠は「らくだ」を演りましたが、これがあなた、「らくだ」を数聴いた中で一番の出来。ほんと凄かった。ハネてからお客が数人楽屋に訪ねてきて、「今日は本当に良い思いをさせて貰いました」と興奮気味に言ってましたが、そりゃあの晩のお客は幸せでしたでしょう。
(続く)
 

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