井の頭線跨線橋 

杉並区永福〜同区和泉 






 井の頭線跨線橋


  井の頭線を跨ぐ玉川上水の水路橋

 と併設の歩行者用跨線橋(注1)で

 一見すると何の特長もないのですが

 よく見ると橋梁部分が4線路分ある

 事が目を引きます。これは井の頭線

 開業当時に計画されていた東京山手

 急行線(注2)の線路の空間を確保

 した名残で、路線計画があった事を

 示す唯一の遺構となるようです。








 水路橋の側壁


  今は中に導水管が通っていて漏水

 対策の樋のように見えますが、それ

 にしては側壁の補強がやけに念入り

 です。どうやら、当初はこの水路橋

 の中を玉川上水の水が直接流れてい

 たものと思われます。となると都内

 に残る現存の水路橋としては唯一の

 橋ではないでしょうか。








 水路橋内部


  この橋が出来た当時の玉川上水は

 新水路で西新宿にあった淀橋浄水場

 に送られていたのですが、昭和12

 年に甲州街道下の導水管に切換えら

 れたので、この橋の導水管もその当

 時のものと思われます。覗き込むと

 下には水が溜まっていて、笹塚付近

 の玉川上水へ流れる水なのか、ただ

 の雨水なのか分りませんが、水路橋

 として今でも現役のようです。








 和泉給水所


  淀橋浄水場へと上水を送っていた

 新水路は、古い地図を見ると井の頭

 通りを渡った辺りで旧水路から分か

 れて、この給水タンクの先からは一

 直線に西新宿へと伸びていました。

 現在はその跡地がそのまま水道道路

 となっています。(注3)


注1・・井の頭線跨線橋という名称ですが、調べて見てもこの名称しか出てきませんでした。しかし

   井の頭線に掛かる跨線橋は地図で調べただけでも11箇所あります。金網があって親柱の銘板

   が確認できないのですが、正式には「玉川上水・井の頭線跨線橋」ではないでしょうか?

注2・・幻の路線となった東京山手急行線は、JR山手線の外側にもう一つ環状線を敷設するという

   ものでした。JR大井町、自由が丘、梅ヶ丘、明大前、JR中野、新井薬師前、江古田、下板

   橋などの各駅を繋ぐ計画だったので、もしも開通していたら東京区部周辺部の住民にとって大

   変便利な路線だったと思われます。

注3・・玉川上水新水路については本村隧道の項にも記述がありますので、そちらもご覧下さい。





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