勝 田 代 官 屋 敷

横浜市都筑区勝田町、関家住宅 




 横浜市の旧橘樹郡勝田郷は旗本久志本氏の所領でしたが、この地の名主であった関家を郷代官

として支配させていました。関家は後北条氏の頃は地侍だったそうで、その屋敷が中世土豪館の

構えもそのままに、中原街道が通る谷を見下ろす丘の中腹に残されています。屋敷は南東を向い

て建ち、背後も左右も小高い丘とその尾根に囲まれた浅い谷戸に位置しています。(注1)また

17世紀初期の建物と推定される主屋は、民家としては関東でも屈指の古いもので、さらに18

世紀前半には書院も建てられて、代官屋敷としての様式も見せています。この屋敷地と長屋門と

書院は国の重要文化財に指定されています。



     長 屋 門


 一部が雁木坂となっている急

坂の上にあって、見上げる姿は

あたかも城門のようです。

 下を通る中原街道は古くから

の道なので、屋敷はそれを見張

る役目もあったのではないかと

思います。






     長屋門詳細


 二階建ての長屋門は大名屋敷

に多く見られますが、代官屋敷

では珍しいと思ったら、明治に

なって養蚕の為に増築されたそ

うです。その事は二階部分の方

が大きく造られている事からも

覗えますが、変遷の歴史を感じ

させてくれます。





     主  屋


 一般に武家屋敷に使われてい

る柱材は、農家に比べて細いの

も特徴ですが、この関家主屋も

梁などが細いそうで、土豪屋敷

だった頃の影響が覗えます。主

屋も古い建物ですが、今でも関

家の方が生活されている為か文

化財指定から外れています。






     書  院


 この書院が建てられたのは、

18世紀前半とされているので

すが、旗本久志本氏が橘樹郡を

領するようになったのが170

6年との事なので、領主の休息

所として建てられたのかも知れ

ません。この屋敷ならば下手な

陣屋より堅固な構えですから。


注1・・・

 このような袋状の谷戸に構えられた城館としては、代表的なものに町田市小山田の小山田城址

(現在の大泉寺境内と裏山)、八王子市柚木の柚木城址(現在の永林寺境内)などがあります。

ただし、これらの城は小山田氏や大石氏など戦国大名クラスの豪族館なのに対して、関家はただ

の地侍でしたから、谷戸の広さも屋敷の規模も遥かに小さいのですが、今日まで、ほぼ当時のま

まの姿で残されているのは特筆すべきものと思います。